2013年1月8日火曜日

「恕」について

「恕」というと論語で有名ですが、この言葉の意味は辞書によると「ゆるす、思いやる、はかる」といった意味だそうです。

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子貢問日、「有一言而可以終身行之者乎。」
子日、「其恕乎。己所不欲、仞施於人。」

子貢が質問した「一生涯貫き通すべき一言とは教えてなんでしょうか。」 孔子は言った「それは他人への思いやりでしょう。自分がして欲しくしないことを人にしてはならなりません。」
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「ゆるす」というのはなにも悪を見逃すだとか、
懐柔されるというのでもありません。
人によっては一生許せない憎しみや怒りもあるでしょう。

ただ、
過ちはその度合によっては許されてしかるべきです。

憎むことは簡単です。
でも許すことは本当に難しい。
許すという行為自体が苦しみを生むことさえあります。

しかしだからこそ、
その苦しみを乗り越えたとき、その行為はより美しく尊い、
といえるのでしょう。

関西の芸人や韓国の元野球選手は罪を犯し、
数えきれない程多くの憎しみや怒りでギリギリまで追い詰められ、
一人は自ら命を絶ちました。

何が許せることなのか、許せないことなのか、
それは法律や慣習によって決められていることもあれば、
個人の人格によっても違うでしょう。

しかしこのネット社会は、
あまりにも簡単に憎しみや怒りといった負の感情を爆発させていまいます。

中東で起こった革命のように、
それが有用に働くこともあれば、
韓国のように何人もの命を奪うこともあるのです。

今一度、
「ゆるす」ということの大切さを
もう一度考えなおす必要があるかもしれません。