2014年9月10日水曜日

遺すこと

考え方からすると、どちらかというと急進的で古い慣習やしきたりなどは御免こうむる種類の人間ではであるが、愛着を感じる光景といえば、使い古した道具であったり鄙びた町並み、風雪を重ねた寺社仏閣の佇まいであることの方が多い。特別扱いされることも無く、人々の生活に溶け込んで自然と時間を重ねて生き残った遺物に対峙すると、敬意に似た特別な気持ちが湧いてくる。
 集落で大事に修繕されながら守られ、素朴ながらもお供え物が絶えない祠や石像を拝見する度に、用の美、あるいは生きている古さこそ美の本質であると強く感じる。もちろん伝統的だとか由緒あるから盲目的に良いと言っているわけではなく、時勢の波や新しい考え方を柔軟に取り入れて変化もしつつ、一本芯の通ったものが良いものが良いと言っているのである。

 補助金無しで立ち行かなくなってしまったものや、伝統にあぐらをかいて排他的になってしまったものは、むしろ一旦循環されるべきではないかとも思う。新しいものを創造するために全てを破壊するのではなく、伝統を保持するという意識だけが先行して死に体になったものを無理やり残すでもない。旧きを知りつつ新しきを識るというごく自然の流れの中に良い物を遺してゆける美意識を多くの人が持つことができれば、文化はより豊かなものになってゆくと思う。



豊かさにについて

 人の歴史というのは端的に言ってしまえば各々の「豊かさ」追求の過程であるといっても過言ではありません。「豊かさ」の定義とは人それぞれですが、モノを得る、利用する、食べるといった物質的な充足とそれに続く精神的な充実感は表裏一体です。衣食住に関わることはもちろんのこと、旅行やサービスにしろ、良いモノ(高いもの、という意味ではない)を介した方が充実感は高い場合が多いことは誰しもが感じるところです。

 ただ、戦災や天災による例外はあるにせよ、単純に不足を補う意味で物質的な欲求を満たすことが昔に比べて困難ではなくなった今日は、昔よりいっそう本当の豊かさとはなにかということに対して自省的または対外的にも問われる時代であるといえます。例えば、「豊かさ」追求の代償としておびただしく破壊されてしまった地球環境の問題はもはやどんな立場にいる一人一人がそれぞれ自覚をしなければならない課題となりました。

 消費しまくり捨てまくる「豊かさ」の空虚さがいかに惨めなものであるかは日本人の多くの人は気づいてきましたが、エコやらロハスといった一時的なキーワードに囚われない、真の意味でより進んだ「豊かさ」を提供出来ればと考えモノづくりに励んでいます。お客様に本当に気に入った物だけ買ってもらうこと、それを長く愛し続けてもらうこと、これが私達の願いです。


 流行に乗っただけの安価なものではなく、壊れず飽きず何年も使って頂ける商品のみ作ります。素っ気ないようでありながら、気づけばいつも傍らにある、そんな製品をお届けしたいといつも考えています。

2014年9月2日火曜日

販売サイトの模様替えをしました!

販売サイトのデザイン見直しを行い、ものすごくシンプルな味付けで模様替えを行いました。清々しいまでの白さをご覧頂ければと思いますので、ご愛顧の程宜しくお願いします。

http://seiyodo.ocnk.net