2014年9月10日水曜日

遺すこと

考え方からすると、どちらかというと急進的で古い慣習やしきたりなどは御免こうむる種類の人間ではであるが、愛着を感じる光景といえば、使い古した道具であったり鄙びた町並み、風雪を重ねた寺社仏閣の佇まいであることの方が多い。特別扱いされることも無く、人々の生活に溶け込んで自然と時間を重ねて生き残った遺物に対峙すると、敬意に似た特別な気持ちが湧いてくる。
 集落で大事に修繕されながら守られ、素朴ながらもお供え物が絶えない祠や石像を拝見する度に、用の美、あるいは生きている古さこそ美の本質であると強く感じる。もちろん伝統的だとか由緒あるから盲目的に良いと言っているわけではなく、時勢の波や新しい考え方を柔軟に取り入れて変化もしつつ、一本芯の通ったものが良いものが良いと言っているのである。

 補助金無しで立ち行かなくなってしまったものや、伝統にあぐらをかいて排他的になってしまったものは、むしろ一旦循環されるべきではないかとも思う。新しいものを創造するために全てを破壊するのではなく、伝統を保持するという意識だけが先行して死に体になったものを無理やり残すでもない。旧きを知りつつ新しきを識るというごく自然の流れの中に良い物を遺してゆける美意識を多くの人が持つことができれば、文化はより豊かなものになってゆくと思う。



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