2015年9月5日土曜日

オリンピックのエンブレムのこと

初めに言っておきますが、自分はデザインの専門教育を受けたわけでも無いし、デザインの仕事を専業にしているわけではありません。

まあ、そうは言っても新製品を企画して造形するときは、足りない頭が引きちぎれるくらい悩むこともあるし、集中してデザインを詰めているときは、あっと言うまに夜が明けていた、なんてことも何度もありました。

というわけで、僭越ながらデザイン業界のほんの端っこにいる者として今回のことの感想を述べたいと思います。

まず、模倣の疑いさえ無ければ今回のロゴは悪くなかった、むしろかなりかっこよかったなあ、と思ったのが個人的な意見。

多分5年後にも飽きないで見てられるシンプルで普遍的な造形と躍動感。

展開案が分かりやすかったかはさて置き、パラリンピックロゴと並んだときの構図の美しきはやはりプロの仕事だなあ、って素直に感心しました。

ただ、だからこそ原案の元になったと思しきフォントを見たときのがっかり感は否めませんでした。

結局、この美しさは原案の元のフォントの美しさに拠るものが大きいのかと。

どんなに美しいデザインでも疑惑の暗い心のフィルターをかけて見れば曇ってしまう。

疑惑が無ければ本当にデザインの歴史に誇れるものの一つになり得たのではないか。ごく一個人の意見ではありますが、それが惜しくてたまりません。

あのデザイナーの全てを肯定することはできないにしろ、(いいものを拾い取る?)センスはずば抜けたものがあると、きちんと評価すべきだと思います。

世間がどう批判しようが、時期が来たら、今までのやり方は変えてもらうにしても、しっかりと復活してほしい。

それが今回の出来事で傷ついた日本のデザイン業界にとって一番の処方箋になるのではないかと思えてなりません。


2015年8月27日木曜日

そこには桜島があった

長渕剛の原点である鹿児島をようやく訪れることができました。


『いつかの少年』を聴きながら桜島を仰ぎ見るという、長らく夢に見た体験をすることもできました。


そしてなにより、この夏の旅では幕末の志士たちの足跡や生き様に触れたことが、思い出をより印象的にしてくれました。


開明的で賢い島津の殿様が始めた集成館事業から始まった幕末の激動、鹿児島が生んだ最大の英雄かもしれない西郷隆盛と大久保利通の活躍、そして西南戦争の悲劇…


それらの舞台が自転車で廻れてしまうくらいのこぢんまりとした範囲であったことに、なおさら感銘を受けました。


伝え聞く西郷と大久保の剛毅木訥で清貧な人柄は自分自身理想とするものであって、その生まれ故郷であり、西郷にとっては自刃した場所でもある鹿児島に行って彼らの足跡を辿れたことを本当に嬉しく思います。


長渕や西郷、大久保の人間臭くて情熱的なイメージが煙を吐き続け動き続ける桜島の景色とシンクロして、ああ、鹿児島の風土はこの景色に集約されるんだな、と。


滞在期間も短かったので、それほど多くの人と触れ合うことはできませんでしたが、それでも旅館や飲み屋で出会った人々はそれぞれ人懐こい温かみがあり、もう一回ここに来たいと思う場所がまた一つ増えた今年の夏でした。








2015年7月11日土曜日

ビーチサンダルと短パン

夏の仕事をビーチサンダルと短パンでできたら、どれだけ気分がいいだろうな〜と思うことがあります。

制服がある中学高校時代はさすがに無理ですが、服装が自由な大学時代は、暑い季節になったら四六時中短パンとビーチサンダルで学校に通ったものです。

女性が夏にサンダルとスカートでオフィス街を歩いているのをみると、涼しそうでとてもうらやましい…

クールビズという言葉ができてからは大分マシになりましたが、背広を腕に抱えてネクタイして大汗をかいてワイシャツをこれでもかと濡らしているサラリーマンの姿は、一昔前の夏の風物詩的な光景だったような気がします。

その時代から比べると衣服も進化したもので、機能的な素材の進化で汗をかいてもずいぶん快適に過ごせるようになりました。

どうせなら夏をもっともっと快適に過ごせるように意識を変えていきたい。

というわけで、毛脛をさらす短パン男子は女子から嫌われるそうですが、そんなものはどうでもいいので、「ショーパンビズ」という言葉をぜひとも流行らせたいと思った今年の初夏でした。


2015年6月7日日曜日

終電後

終電を乗り過ごした後の身の処し方は人によって多種多様で、時としてドラマチックですらあります。


上京してから、深酒による寝過ごしで数限りない終電後の世界を見てきましたが、振り返るとなかなか面白いものです。


複数人と一緒の場合は飲み屋、カラオケ、ファミレス、誰か近い人の家に泊まるなんていうのが定番ですが、1人の場合は他人に気を遣わなくて良い分、選択肢が大分広がります。


乗り過ごし地点が繁華街でかつ、お金に余裕がある、体力に余裕がある場合は漫画喫茶が良いでしょう。
一晩というのは寝なければ大分長いので、普段は読む機会の無い漫画を全巻読むことも可能です。


あんまり眠いときは、贅沢してビジネスホテルなんていうのも良い選択ですね。ホテルのベッドはだいたい高品質なので寝心地もいいですし、朝起きてからの長風呂は二日酔いをすっきり覚ましてくれます。


懐が寂しいとき、酔いがそこまで深く無い場合は、家を目指して歩き通すのも悪くはありません。


ある時、周りに店も無くタクシーも拾えないような山あいの駅で目を覚ました時はさすがにどうしようかと思いましたが、夜通し真っ暗な山道やら住宅街をさまよい歩き、朝方にようやく繁華街にたどり着いた時の感動は忘れられません。


大雪の日に仕事で終電を乗り過ごし、スーツ姿で宿を求めてずぶ濡れで街をふらふら歩いたこと、途方も無くお金が無いときに公園で野宿をしたのは新宿での出来事でした。


寒空の中、段ボール一枚がどれほど身を守ってくれるか、雪の中で防水機能の無い靴を長時間履くのがどれほど危険なことか、なんてことはもしかしたら日常生活ではまったく必要無い知識かもしれませんが、そんなろくでもない経験ほど思い返すと大事な思い出になっているので、不思議なものですね。





2015年4月12日日曜日

フィリップ・デュフォー(Philippe Dufour)のモノ作り

スイスにフィリップ・デュフォーという独立時計師がいます。


この人は、時計に関わる部品をネジ一本から自分で削りだすという、
現代では考えられないようなとんでもない手法で一本の時計を作り出す時計師です。


そんな作り方なので当然一年に何十本もつくることはできず、
これまでに作られた数も限られていますから、
残念ながら実物を拝見したことはありません。
(仮に実物を見たところで一本500万以上するので買えるわけないですけどね…)


でも、画像や映像(昔NHKの『独立時計師たちの小宇宙』という番組で詳しく取り上げられていました)だけでも、この作品を知りその美しさに酔いしれる価値はあると思います。


100点以上ある全ての部品を独力で設計し、
1mmか2mm、ときにはそれよりも小さい部品を顕微鏡を使いながら切削して丹念に磨き、
さらには組み立ても行うという、
気の遠くなるような根気のいる作業を経て作られる一本の時計…


芸術の値段というのは、
知らない人が見れば馬鹿げたようなとんでもない価格がつくことがありますが、
その価値に共鳴する人々にとっては魔法のようにすっと受け入れてしまうものです。


最近前述のNHKの番組を再見し、
デュフォーさんの仕事をじっくりと拝見して、
改めてこの一本の価値を再認識しました。


シンプルさの中にある足すことも引くこともできない絶対的な美しさのバランス…
所有するなんて夢のまた夢ですが、
個人的には↓のたった一枚の写真を眺めるだけで十分なくらい、
その佇まいの厳かさに圧倒されます。


↓の時計は”シンプリシティ”という名前ですが、
「シンプル」という言葉は「簡素」「簡潔」という訳では
十分に意味が通じないと思います。


考えに考え、練りに練った厳格で研ぎ澄まされた審査を経て、
やっと辿り着く数本の線、
それが「シンプル」だと思うのです。




詳細な情報はこのリンクがとてもわかりやすいです。

2015年4月7日火曜日

自然の音

無音の生活もたまにはいいですが、やはり音楽が流れている生活というのは豊かなものですね。

生活に音楽を流すために、別に高価なオーディオ機器を揃える必要はありません。

例えば、散歩や仕事の帰り道、あるいはいい具合に酔っ払った時に口ずさむ鼻歌の快感といったらないですよね。演歌やカントリー・ソングのように、ボロい車のいまいちなスピーカーから流れるから良い、というものもあります。

今は色々な再生機械があるので、人間の作った曲はいとも簡単に再生できますが、自然の音楽を生音源で聴くのは難しくなってしまいました。

むかし神社の境内で遊ぶとき、ご神木が風に吹かれてザワザワしている音を聴くのが好きでした。浜辺や港の夕方の静かな波の音が好きでした。

今住んでいる場所は海とか神社は無いのですが、そこらじゅうに大きな公園があるので暖かくなると、ガマガエルやら虫の鳴き声をしょっちゅう聴くことができます。

そういう瞬間に小さな喜びがあります。

2015年3月29日日曜日

みかん

久しぶりに商品を絡めた文章を書くことにします。

お客様からオレンジ色の小銭入れを作ってほしいというオーダーを頂いて、
オレンジ色の革を仕入れた時、
ふっとひらめいて補色を緑色にして「みかん」のような色合いにしたいと考えました。







大学進学で上京するまで、私は静岡のみかん畑に囲まれた地域に住んでいましたから、
この優しいオレンジ色(みかん色と呼びたい)と緑色の組み合わせは、
とても深い郷愁を誘う色合いなのです。

小さい頃は祖父母のみかん畑で何度も収穫を手伝ったことがありますし、
家の周りには本当にそこいら中に畑がありましたから、
収穫が終わると家にはいつも大量のみかんがありました。

あまりにも周りにありふれているものでしたから、
当時みかんはお金を出して買う果物という意識が無かったほどです。

今果物屋さん等で一袋が結構高い値段で売られているのを見ると、
子供の頃は10個20個を平気でまとめ食いして、
ありがたみを感謝していなかったな〜と思うことがあります。

剪定用のはさみで1つの1つ実を木の枝から切り落として、
出荷用のコンテナに積み込んだことや、
畑の草刈したり軽トラックの荷台に乗って山道をドライブしたことなど、
みかんにまつわるあれこれを、今でもとても懐かしく思い出すことができます。

思いがけず、自分にとっても記念になりそうな商品になりました。

2015年3月25日水曜日

忠臣蔵が苦手

『忠臣蔵』のドラマを見るたびに、つくづくこれは身分制社会の不条理をギトギトに凝縮した内容だなぁと感じます。

江戸時代の人々の考え方にダメ出しをしても全く意味無いとはわかりつつ、これが現代でも繰り返し繰り返しドラマや劇で美談として上演されることについては、なにか違和感を感じざるをえません。

「主君と臣下」という関係性が絶対的な隷属関係として扱われる例は、現代世界でも至るところに見られる現象ですが、この関係性の不自然さを物語の中ではっきり体現しているのが『忠臣蔵』だと思います。

下克上が当たり前の世の中で、「忠義」という価値観が尊重され赤穂浪士の事件を美談とした当時の心情は理解出来ますが、やはりこれも身分制社会の価値観を肯定せざるを得ない江戸時代の庶民の心持ちがあってことだと思います。

現代にいるのに、江戸時代の感覚でいつまでも美談として扱っていいものかと考えるわけです。

個人的には下克上の物語のほうがよっぽどいい意味で人間的で共感出来ます。

多少過激な言い方かもしれませんが、暴走した主君の敵討という名目で人の命を奪った上に、四十数人の命が自発的に絶たれたという異常な現象を、「忠義」だなんだと祭り上げる風潮は、いい加減もう辞めた方がいいと思う、という天邪鬼の独り言でした〜!


2015年3月16日月曜日

あなたのデザインを募集します

日々の生活でパッとひらめくアイディア、
素敵なデザインをモノとして
形にしてみませんか?

皆様から頂いたデザインやアイディアが
商品化まで辿り着いた際は、
売上利益の一部を報酬として還元させて頂きます。

いいアイディアやデザインが浮かんだけれど、
形にする方法が分からない、
モノ作りやデザインに興味があってなにか作ってみたい!
と考えている方は、
気軽に下記アドレスまでご連絡ください。

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Yahoo!ショッピングに支店を出しました〜

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手軽さという点で、ECサイトって本当に素晴らしい仕組みですよね〜

各種ポイントや多用な決済方法にも対応していますので、
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2015年3月13日金曜日

辻堂海岸の夕暮れ

浜辺で見る朝焼けや夕焼けのグラデーションは、自然だけが作る事ができる色彩です。

波の音を聞きながら、オレンジとネイビーブルーの豊かな色の交じり合いが終わるとやがて周りは闇に包まれます。

ほんの一時間くらいの間に次々と変わる情景。本当の意味で豊かな瞬間です。





2015年2月27日金曜日

歴史と物語

本来このブログでは製品の宣伝をするのが筋なんでしょうが、そういうのはHPやFacebookのページで十分やっているので、ブログではどうしても商売から離れた雑文を書きたくなる性分なのです。


なので、すみませんが今回も趣味の歴史のお話をさせてください。


…といっても、世間一般で受けの良い幕末とか戦国武将とか三国志とかのことは、実は最小限のことしか知りません。


歴史上の有名人や出来事の暗記より、どうやってそれら過去の歴史が現代に伝えられたのか、誰がどのように歴史事実とされるものを「事実らしく」伝えたのか、そして歴史的事実として伝承されたものがどのように現実世界にインパクトを与えたのか。歴史哲学同様に、かつてそのようなことにも関心があり、一心不乱に熱中したものです。


わかりやく三国志を例にとると、中国三国時代の歴史書『三国志』を著した陳寿は赤壁の戦いの描写をするとき、どのような史料を読み、伝聞を聞き、自身で解釈をして文としたのか、どの出来事を強調し何を省略したのか、という問題に対する興味、といった意味です。


歴史書の中で「事実らしく」伝えられたものが、実は事実では無いということが分かったことが、私たちが知っている知識の中にはたくさんあります。


例えば武蔵坊弁慶は五条大橋で牛若丸と戦ったことになっていますが、そのような出来事に対する信憑性のある裏付けは実のところ一切ありません。何しろこの人物は名前だけが伝わっているだけで、どのような出自でどのような活躍をしたかということが一切分かっていないのです。


大河ドラマを見ていれば、脚色というものが物語の面白さをどれだけ膨らますかわかりますが、まさか薙刀を振り回して義経に忠義を尽くす弁慶が、名前だけしか分かっていない人物だったとは多くの人は知らないでしょう。


でも、このような例こそが、ときとして物語は事実に優先するという、それこそ「歴史的事実」を雄弁に立証するものであるといえます。


義経や弁慶が死んだ200年も後に、弁慶が大活躍する物語を描いた『義経記』の作者に捏造の意識があったのかなかったのかは知りませんが、『義経記』の史料的信憑性が著しく低いことが分かった現代以降の日本の歴史物語においても、相変わらず弁慶は白頭巾を被って薙刀を振り回しています。
歴史を扱うとはいえ、今更物語の最重要人物の存在を消すことはことは、なにより「無粋」なわけですね。


つまり歴史というものは科学的な裏付け以上に、多くの人がこうであって欲しいという偶像が「事実らしさ」を超えて、もはや「事実」になるということです。


こういった現象が現実世界に与えるインパクト、なんて言い出すとうっかりタブーに触れてしまうことにもなりかねませんが、世界各地の宗教の伝記や、第二次世界大戦中の日本軍の所業に関する論争は、生きた実例であるといえます。


このように歴史と現代は密接に繋がっているわけで、これに対する関心が深まれば、懐古主義や単なる教養だけではなく、現代にとっていかに歴史に対する理解が重要なものかわかるでしょう。


歴史は単なる暗記科目でもインテリの教養でもありません。実用的では無いかもしれませんが、本質的なのです。一応文明社会に生きる現代人としては必要不可欠な養分であると思うのです。



2015年2月16日月曜日

ナイトトレック in 高尾山

先日友人と車でドライブに出かけた際、何の計画もありませんでしたが多摩方面に向かっていたという理由だけで、高尾山のナイトトレッキングをすることにしました。


もちろん無計画とは言っても、その友人とは何回も山に行ったことがあり、高尾山には全て舗装路の楽ちんなトレッキングコースがあることを知っていましたから、思いつきの夜間トレッキングとはいえ決して無謀なバカ共では無いことをご承知置き下さい…


2月真っ只中の夜間ですから、ダウンジャケットを着て急な上り道を歩いても全然暑くならないほど寒かったのですが、風も無く天気も晴れており、冷たい風が運動して暑くなった体を程よく冷してくれて大変快適でした。


急な事だったので当然ヘッドライトは持っていませんでしたが、
幸い充電が十分だったiphoneの懐中電灯機能(?)を使いました。


木に覆われた道の見通しはさすがに悪かったですが、それ以外のアスファルトや木の板の道は星空の光と雪の反射でライトが無くても十分に歩ける程でした。


麓から歩いて一時間程で山頂に着いた時の夜景の綺麗さときたら、そこら辺の港とか橋の夜景の比ではないですね!!

iphoneのカメラしか無かったので、撮った写真は実際の何十分の一くらいしか綺麗さが表現できていませんが、冬の高尾山からの夜景は本当に一見の価値あり。





とはいえ、今回はコースの全てが舗装路という稀に見る恵まれた環境があり、往復2時間くらいで上り下りできる高尾山、しかも快晴で懐中電灯があったから行ったようなものなので、くれぐれもそこら辺の野山で軽い思いつきで冬の夜間登山はしないようにお願いします!!






2015年2月13日金曜日

HPをモバイル対応させました!

ここのところ鞄だのなんだのと新製品の開発に没頭しすぎて、HP関係のお手入れが行き届いていなかったなぁ〜、と反省しようやく(?)HPをスマートフォンでも最適化して見られるように対応しました。

ずっと「おちゃのこネット」のサービスを使わせてもらってますが、サイトの改修も楽ちんだし、テンプレートのデザインも素敵で、もう手放せないくらい気に入っています。

ECサイトのサービスで何を重視するかは人それぞれかと思いますが、月500円くらいで始められることを考えれば、「おちゃのこネット」はもの凄いお得だと思います。

…スマホでこのブログを読まれている方は、よかったらスッキリと見やすくなった↓のサイトを見てみてください!

http://seiyodo.ocnk.net

2015年2月12日木曜日

Facebookページ作ってみました!

https://www.facebook.com/seiyodos

試しに静洋堂のFacebookページを作ってみました!
良かったら見てみて頂ければと思います。宜しくお願いします^_^

2015年2月6日金曜日

鞄を作りました!

年明けから新しいタイプのモノづくりを始めようと思い、余った革で二つほど鞄のプロトタイプを作ってみました。

製品化まではもう少し時間が掛かりそうですが、ひとまず形になりました。やったー!

今まで作ってきた小物類とは違って、材料も型紙を作る時間も何倍も多く掛かります。
その分、お客さんにお届けする喜びとは別の、作った直後の達成感にしても、久々に新鮮な喜びを味わうことが出来ました。

これがあるからなにがあってもやめられない〜って感じですね!!

新作品を作る時に発見する気付きが、既成品を作るときも次の新製品を作る時も技術を向上させます。これからも新分野のモノ作りに挑戦しようと思います。








2015年1月30日金曜日

バスケのシュートに酔う

部活経験者ではないですが、やるのも見るのもバスケットボールが一番好きです。


フルコートで5×5とか、ハーフコートの3×3なんてやったら、20分くらいで体が動かなくなるほど自分自身のスタミナは無いのですが、なにしろシュート練習が異常に面白いのです。このスポーツは。


ゴルフの打ちっぱなしが一つの娯楽として成立しているように、ゴールさえあれば一人でいつでもできるバスケのシュート打ちっ放しは、スポーツ施設に専用の場所があってもいいのでは思う程です。


ゴルフでスコアとか飛距離が練習すればする程伸びる喜びと同じで、どんどんシュートが正確になり、シュートレンジが伸びて行く快感ときたら、もう…言葉がありません!


学生時代のバスケ部の練習光景見て、バスケットとはマラソンとか中距離走のような苦行だと敬遠する人も多いと思いますが、シュート打ちっ放しは違います。


一つの正解の型、究極のシュートフォームを求めて静かに鍛錬する様は、おじいちゃんやおばあちゃんでもできる武道やゴルフに通ずるものがあります。


年配の方にフルコート走れと言っても無理ですが、フリースローはできます。キャッチアンドシュートもできます。ゲートボールと同じように標的を狙うゲームですから、ゲートボールの派閥争いに疲れた愛好者の方へ代わりに薦めてみてもいいかもしれません。


幸運にも近くにバスケのゴールがある人は↓の動画を見て、今すぐシュート打ちっ放しの快感を味わってみてください!!この人(レイ・アレン)シュートフォームきれいでしょ☆




2015年1月23日金曜日

浅草好きやねん

本格的に革の製作をするようになり、金具の発注や材料の買い付けで、去年の秋から何度も浅草に行くようになりました。


昔観光で浅草寺や花やしきに行ったことが、とても良い思い出として残っていることもあり、中央線を大横断してゆく道のりはいつも楽しく、用事が済んだ後も何かしら道草をして、毎回何かの発見があります。


ふらっとゆく店の主人は話し好きの人が多く、時にとても勉強になるお話をしてくれます。


ごちゃごちゃとたくさんの物が無造作に置かれていることが多いので、お世辞にも見た目が洗練されているとは言えませんが、お店には人を寄せ付ける温かみがり、高いものも安いものも実が沢山詰まっているのです。


銀座や表参道のお店はそれはそれは綺麗に飾り付けられ、見た目はよろしい商品もたくさんありますが、なにか人を寄せ付けない冷たさのようなものを感じることがあります。

雑然としているけど、絵になるという点では、吾妻橋の和風の欄干と、アサヒビールの金色の◯◯◯と、スカイツリーの見事な調和の構図に集約されていると感じます。


新しいものでも古いものでもとりあえずなんでも取り込み、景色にそぐわないだの、高さが高すぎるだの、そんなくだらないことを超越した面白みがあります。


上品も下品も無い懐の広さや、おおらかさがある、まさに「生きた」街だと思うのです。


今度行くときは、浅草演芸ホールとか東洋館のあたりをブラブラしてみようかな〜











2015年1月19日月曜日

Nike(ナイキ)のデザイン

誰もが知っていて、もしかしてその製品を一回は買った事があるかもしれない企業、それがナイキです。

意識するしないに関わらず、ナイキの製品というのは、デザインとスポーツに興味があれば自然に目に入ってきます。それも毎年毎年もの凄い数です。

良く言えば時代の感覚を掴むセンスがありますが、悪く言えばものによってはあっという間に古びてしまうものも多い。

毎年とてつもない数の製品を投入するので、信じられないくらい心を掴む絶品がある一方で、いかにも間に合わせのようながっかりな製品もあります。まさに玉石混交という言葉がピッタリと当てはまります。

製品の耐久性に関しては全くもって疑問符が着きますが、新鮮なデザインやコンセプトの魅力によってついつい気になってしまう、なんとも不思議な企業です。

目指すコンセプトとは真逆ではありますが、新鮮さを追い求め無い限り革新はありえませんから、ナイキの動向は常にチェックしているのです。


良くも悪くもアメリカ企業のダイナミズムというは、やはり日本企業とは全然違いますよね…


一ファンとしては、機能性の代償として耐久性に目をつぶりますので、せめてパタゴニアの製品のように製品リサイクルの輪をきちんと整備してくれれば、より魅力的なブランドになるのではないかな〜、と思う次第です。






2015年1月10日土曜日

好きな風景-古い建物

歴オタだからどうかはわかりませんが、お寺とか神社とか民家でも何でもいいんですが、古い建物を見ると心の癒やしのツボがよろしい具合に押されます。

建物は有名なものや観光地化されていなければいない程よい。ただし廃墟マニアではないので、人が利用している気配が無い建物は魅力が半減します。

そういうわけで、やはりちょうど良い塩梅のものとなると、ほどほどの人口がある山里や漁村の建物になる場合が多いですね。

さらに言うなら、予め建物を目的に見に行くのではなく、散策のついでに偶然発見する、というパターンの方が感動は倍増します。

例えば山歩きをしていて、薄暗くなった下山途中にちょっと不安がよぎる中、ふと現れる小さな祠や神社やお寺の存在がどれほどありがたいことか、ほっとすることか、山歩きをされる方には共感されることも多いと思います。

地域によっては、コンビニより美容院より歯医者より多い寺社仏閣の数。

信仰心の強弱以上に心の癒やしの場所がそこにあると、昔の人は分かっていたのではないかと思うのです。ある程度年齢を重ねるとそういうことが分かってきます。




2015年1月6日火曜日

正月にローピン

今年の正月はずっと風邪気味だったこともあり、ほとんど出歩かず寝正月でした。

出歩かないとはいえ、正月料理やタダ酒が目の前にあるわけですから当然普段以上に飲み食いはするわけで、案の定毎年恒例の正月太りの冬であります。

今年は二日酔いする程深酒をしない代わりに、せっかく実家にいることだし手伝いを兼ねて料理をすることにしました。といっても、いかに簡単に早く美味しいものを作り、そして食べるのが私の理想ですから、そんなに凝った料理はしません。せいぜいお雑煮とかチャーハンとかすいとんとか、そういったものです。

味付けはさておき、元々刃物が好きなだけに、野菜を切ったり肉を切ったりするのは全然苦ではないどころか、とても楽しい一時です。

変わったところといえば、以前『美味しんぼ』で読んだ「ローピン」という中華風パイみたいな料理を初めて作ってみました。非常事態の時に少ない材料で簡単に作れてなおかつ美味しいという、サバイバル男子の心を絶妙にくすぐる設定のため、前々から気になっていた存在の料理でしたが、初回は皮が厚すぎて大失敗…。二回目は慣れて適正な皮の厚み(大体餃子の皮くらい)がわかったので、大変美味しく出来上がりました。

普段料理をされている方々からすればたいしたことないかもしれませんが、やはり何歳になっても、普段は深く関わっていない分野で息抜きができたり新しい発見があれば楽しいものなのです。