2014年11月29日土曜日

伝え方

最近よく読むブログがあります。

檜垣裕志(ひがきゆうし)のサッカーブログ 今日もコーチング日和

ブログを書かれている檜垣さんという方は、ブラジルでの選手経験もある、プロのサッカー指導者で主に基礎技術の教え方に定評があるそうです。

サッカーについては全くの門外漢でして、今年の夏に暇しているときに、ふとリフティングでもやってみようかと思い、練習方法をネットであれこれ調べているときにたまたま見つけました。

結論からいうと、いい練習方法がわかったからといってすぐにうまくなれるほど、甘くは無く、別に私自身の技量がすごく向上したわけでは無いのですが、、、

とはいえ、なぜこのブログを今でもよく読み、ここで紹介する気になったかというと、内容もさることながら、情報発信の手法としてこのブログが非常に優れていると思っているからです。

内容の詳細はリンク先の記事を何日分か読んで頂ければ一目瞭然と思いますが、何より優れていると思うのが、何日分かの記事を読むだけで、檜垣さんが一番伝えたいことが一目瞭然になること。さらに読めば読むほど、記事の意図がシンプルにすっと心の中に入り込んでくるのです。

要するに、視点を変えて色々な記事を書かれていますが、伝える内容はほとんど同じです。内容が同じとはいえ、それは絶対にぶれが無い教義のようなものですから、本質的であり飽きることはありません。

内容はシンプルでも、それが真理をつくものであったり、本質的であれば何回同じことを伝えられようとそれが色褪せることはありません。聖書とかお経みたいなものでしょうか。

どうすれば、人の心に届くような伝え方ができるかということを考える点で、このブログは非常に参考になるのではないかと思います。


2014年11月28日金曜日

車のミライ

普段は車のこととかほとんど興味の外にあるのですが、(とはいえ、運転が下手なくせに実はポルシェとがブガッティ・ヴェイロンとか一度は乗ってみたかっったりします)、トヨタの発売する水素エンジンの車の話題には珍しく興味を持ちました。

トヨタといえば日本を代表するという言葉が真っ先にくる大企業中の大企業ですが、プリウスしかり、今回のミライしかり本当の意味で自動車業界の未来を先頭走って引っ張っているのを見て、日本人として誇らしく思う気持ちがあります。中途半端な大企業は大企業病の実例を間近でみた経験があるせいであまり好きではないのですが、トヨタクラスの突き抜けた大企業は、事業の姿勢や実績、マネジメント等、やはり誰が見ても一流であると思います。

アルファロメオみたいなセクシーな車が水素エンジン車で出たら、迷わず買うことにします。買えたら、ですけどね。

2014年11月26日水曜日

静洋堂のものづくりのこころ

日々の習慣や行動はもちろんのこと、大げさに言えば、なにを選ぶかによって人格が形成されるという一面があると思いますが、私達は以下のような考えかたで製品を作り、販売をしています。

デザインと料理というのは根源は同じものであると考えています。 料理の心にも通じますが、本来の素材が良ければ良いほど、味付けに頼る必要もなく、手を加える必要も減ってきます。モノづくりのこころもそれと同じで、厳選された素材と考えぬかれたデザインが本当によければ、素材の粗を隠す加工をすることも無ければ、余計な装飾もいらないはずです。

本来求められる機能を充足させることだけを考えれば、鞄にしろ財布にしろスッキリとした佇まいであるほうが美しく、また生活を向上させることもできると考えます。財布を例に取ると、あまり使わないカードを何十枚も持ち歩くより、厳選された少数のカードで身軽に動いたほうが、実はお金の管理もしやすく、特定の店のカードポイントに振り回されて無駄な買い物をすることも無いわけです。小銭入れもカードケースも余分と思われる収納スペースを一切配置していません。普段使わない箇所にうっかり入れてしまったものは、後で見つけることが難しくなります。

要望に応えて足し込んでいくのは実に簡単です。反対に本質的な機能を損なわず、むしろ向上させるために機能を削ぎ落としてゆくことは大変難しいのです。だからこそチャレンジします。

2014年11月21日金曜日

歴史哲学のおもしろさ

「歴史哲学」と聞いて胸が熱くなる人は歴史オタクのなかでも、かなりの少数派であるこは知っています。

私は大学院まで歴史の勉強をしていましたが、歴史の大きな流れの中に思念や思想を読み取るという歴史哲学の視点は、勉強をしていた当時ですら、もはや時代遅れか、それとも個人の手には負えない邪道のような扱いを受けていたことをはっきりと覚えています。

確かに和辻哲郎の『風土』に書かれた環境決定論だの、トインビーの循環史観だの、根拠の曖昧さときたら学生レベルでもわかるほど突っ込みどころの方が多いのですが、思考のシュミレーション方法として、一つの事象に対して解釈次第でいくらでも捉え方が変わるということ、発想の雄大さに大いに感銘を受けたものです。

一方で、近代歴史学の主流となっているのは、
一つ一つの歴史的事象の確実性を、残された物証から念入りに実証的に検証していく立場を重視するものです。資料調査の科学的手法も発達し、また統計学など他学問の成果なども取り込み、先行研究の蓄積も相当たまってきましたから、歴史学が明らかにできるミクロな事象の範囲は年々広がっているといえるでしょう。

それはそれでいいのですが、細かい事象に囚われすぎて、個々の研究が重箱の隅をつつくような視野狭窄に陥っているとの批判がある(あった)ことも事実です。

そんなことを鑑みつつ、20世紀前半までの歴史学者や哲学者は、今に比べて実におおらかにスケールの大きな言説を自由気ままに発表していました。当時は歴史事実についての情報が圧倒的に少なかったから、逆に限定的な情報の中で色々なシュミレーションを自在に張り巡らすことができたのでしょう。現代の歴史研究者の多くは、直感的なひらめきがあっても事実の裏付けだけでヘタすれば数年を費やすことになります。

歴史学が産んだスケールの大きな発想、
例えば唯物史観とか皇国史観とか歴史修正主義だの、普段は全然気に留めていないかもしれませんが、これらは良きにつけ悪しきにつけ、時として恐ろしいほど身の回りの生活を変えます。

■唯物史観→社会主義国家建設の思想的根拠
■皇国史観→日本におけるいわゆる戦前の全体主義体制の思想的根拠
■歴史修正主義→現代のネット右翼が主張する言説?の思想的根拠

上記のように、かつて「歴史」という学問には、世の中の生活までも変えてしまうくらいの思想的インパクトがあったことがあり、現代においてわかりやすい例でいうと、嫌韓・嫌中の思潮の根幹にはやはり歴史学の成果があるのです。

歴史研究を生活の糧にすることが出来た少数の恵まれた人々には是非、人生の大仕事のつもりで数年を歴史哲学の研究に費やして欲しいなあ、と思います。スケールの大きさゆえ、それこそ揚げ足をとる批判の嵐は免れようもありませんが、その仕事の価値は批判が大分収まった後世になってやっと分かってきます。

冒険心を持った研究者による、歴女とか歴オタを本当の意味で歴史好きにしてくれるような素敵な歴史哲学の著書が、専門書コーナーの片隅ではなく、いつか本屋の店頭に平積みで並んでくれればいいな〜。

2014年11月15日土曜日

アパレルの多様性

冬も近づくと、私は何かにつけてタートルネックを着ます。
もう何年もそんなことをしているので、私の冬の格好はタートルネックしかないように言われることもあります。

まあ、もちろんそんなことは無いのですが、汎用性もさることながら機能性やスタイリングの点でも、良い仕立てのタートルネックは着ていて最高に気持ち良いものです。

ただ、最近はネック部分の折り返しに気を取られるのが面倒で、タートルネックよりもハイネックのものを着ることが多いのですが、まあこのハイネックの場合、特にセーターでは最近は中々商品が無いので困るのです。出せばそこそこ売れると思うのになぁと思いつつ、最近のアパレル市場のように、マーケティングの技術が進み過ぎると同じようなものしか市場に出まわらなくなるのがつまらないですね。

例えば、百貨店のシャツ売り場に行けば、それこそ何百種類のシャツが置かれていますが、襟の形は大体レギュラーカラーかボタンダウンくらいのものです。ノータイのクールビスなら、スタンドカラーのシャツでボタンを開けたスタイルは快適ですし、ちゃんとネクタイ締めるときはタブカラーとかピンホールカラーとかのシャツはとても様になるものです。

最近ではちょっと変わった形の服を買おうと思うと、すぐにオーダーメードになってしまうのが、寂しい限りです。




一年経ち…

赤い色ということで、あまり手にとって貰う機会は無いのですが、個人的にはもの凄く気に入っているこの財布。
作成から一年経ちましたが、なかなかいい風合いに育ってきましたよ〜。



2014年11月7日金曜日

刃物の思い出

刃物を砥石で研ぐ時、子供のころの思い出をよく思い出します。

私の家系は親戚に大工さんや建築の設計士が多く、祖父も大工の棟梁をしていました。実家のすぐ近くには木材を加工する祖父の作業場があり、小さい頃はよくそこでノコギリだのカンナだのトンカチだの使って木と遊んでいました。

祖父母は兼業で農家もやっていましたから、間近で鎌や鍬を砥石で研いで手入れをしている姿を見て、私も真似事で鎌だの包丁を研ぐことを覚えました。

良く研がれたカンナで木を削った時のかつお節みたいなきれいな木片のこと、ノコギリで木を切るときの腰の入れ方、木を切った後に出るオガクズの匂い、研ぎたての刃物の刃紋の美しさ…

そのときからもう20年以上経ちますが、今でもはっきりと思い出すことができます。

子供の頃から刃物に親しみ、カッターやらナタで何度も大怪我しましたから、大人になってからは不注意で手を切ったりしたことは一度もありません。

そう考えると、子供の頃に怖がらずキチンと刃物に向き合うようにすることは大事かもしれませんね。

また、良い包丁と出会うと料理が格段に楽しくなります。
特に日本料理に関しては、基本は包丁から始まります。

高級なブランド食器より、ハイテク鍋よりも「まずは良い包丁から」でいきましょう!

…料理で使うなら、切れ味の良さ、使いやすさ、手入れのしやすさからいって、「グローバル包丁」の牛刀が断然お勧めです。デザインも良いですしね。砥石で研ぐのが面倒な方は専用のシャーブナーの購入も忘れずに!

このシャーブナーもなかなかの優れもので、ビクトリノックスのナイフや裁ちばさみの刃もこれで研いでいますが、たった数回刃を滑らせるだけで、みるみる切れ味が回復します。ぜひお試しあれ。

つくりたいもの

自分の手で革のモノづくりを始めて、もう4年くらい経ちました。

学生時代は絵を描いたり自分でTシャツやジーンズにペイントをして遊んだりしていましたが、サラリーマンになってからは、忙しいこともあってしばらくそういった楽しみを忘れていました。

ふとしたことで東急ハンズの売り場で見かけた初心者用の革工芸のセットを買ったことが、この世界に入ったきっかけでした。「用の美」ではないですが、いかに美しさを実用性の制約の中で表現できるか考え、あれこれ試行錯誤する喜びは中々代え難いものがあります。

もちろん楽しい事ばかりではなく、挫折や失敗もたくさんありますが、それにしてもこの仕事は自分に合っているなあ、と深く考える今日この頃です。

アップの写真で撮っても恥じない作品を作ることが課題ですが、↓の写真はアップに耐えてくれるかな〜と願って掲載しました。どうでしょう?