2013年10月8日火曜日

歴史の愉しみ〜遺跡に思う〜

学校の授業でひたすら暗記をさせられて本当にうんざりして歴史が嫌いになったという人は、私の知る限りでも大勢います。

しかし、年号や教科書に載っていることが現実のものとして感じられるとき、積み重ねられた歴史に対する驚きや興奮、敬意を感じることができます。

現実のものとして感じるのはどういうときか。例えば実際に歴史的出来事を体験した人から直接話しを聞く、当時の書物や遺物、遺跡を自分の目で見る等あります。

私は学生時代に遺跡の発掘に参加できたという幸運があり、人々が生きた歴史を自分の中で噛みしめるという、普通ではなかなか得難い体験をすることができました。

何の変哲も無い田舎の畑を発掘して、千年前に中国で作られた磁器を見つけた時の感激や興奮は、それから十年以上経った今でも鮮明にはっきりと覚えています。

とはいえ、誰しも気軽に発掘をできるわけでは無いのでこの興奮を共有するのは難しいのですが、例えばどの街にもある神社やお寺でも、あるいは歴史的建造物などに行った際、ちょっと足を止めて掲示されている建物の説明書きを読み、想像してみてください。

戦乱や天災で建物自体は壊れても、大抵の場合寺社仏閣は同じ場所に再建されることがほとんどです。テレビも携帯電話も写真も自動車も無く、和服を着てちょんまげを結んでいた時代の人々と同じ場所に立ち、同じように神様を拝んでいる。
歴史の積み重ねがあり、そして現在があることに対する感謝の気持ちを感じることができる瞬間です。

切り詰められた時間を生きている現代だからこそ、過去の有り様から現在を見つめなおすということも、時に必要なのではないかと思います。

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